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2015/03/25

NO.30 【大病が治る人と治らない人の違い】

桜が開花し始め、いよいよ春到来ですね。

花粉症の方は、嫌な季節に入りますが、やっぱり暖かくなる季節は気持ちも明るくなり、外出したくなりますね。

あっと言う間に暑くなりそうですので、心地よい季節を精一杯体感したいです。

 

私たちの身体は、もともと健康でいるようにできています。

動物たちは、怪我をしたり不調になれば、身体を休めます。

その間は、食事もほとんど摂らないのだそうです。

 

自然治癒力を全開するために、消化のためにエネルギーを使うことも惜しみ、病気を治すために注ぎます。

人間も同じで、ちょっとした不調であれば、身体を休めると改善します。

 

ですが、大病になったと言うことは、食べ物や生活習慣、心の持ち方や考え方が自然の流れに反していたとのメッセージでもあります。

自分でそれに気づき、身体や考えを今までとは変えていかなければ、病気を克服することは難しいのです。

 

ですが、大病をするとどうして自分だけがと嘆き、他人のせいにすることも多々あります。

その上、自分の身体をお医者様にすべてをゆだねてしまう人が多いと思います。

 

「NO.24自分を信じなければ病気は克服できない!」でも書きましたが、自分の身体のことは自分が一番良くわかっているはずです。

お医者様でも、他人の身体のことをすべては把握できません。

自分にはわからないということであれば、それは自分の身体を放棄していることになり、それでは身体は健康に戻ろうとはしないはずです。

 

車はガソリンがないと走りません。

人間の身体も同じように、エネルギーを注入できてはじめて動くことができます。

 

身体も同じように器なのです。

その器を動かすエネルギーがあるから、常に身体はきちんと働きます。

そのエネルギーの注入を邪魔したり、エネルギーを低下させるのが、間違った食事や生活習慣、考え方ということになります。

 

病気になったということは、間違っていた何かに気づくための試練でもあります。

大病を劇的に克服されている方は、病気になって気づくことがたくさんあったと話されます。

病気になって良かったとまで言われます。

また、今までの生活習慣や食生活、考え方などを見直して、自分が変わろうとされます。

 

病気になってしまったことを悔んでも、過去は変えることはできません。

未来を心配しても、まだ決まっているわけではありません。

 

たとえ余命宣告を受けても、それは今までの経験値からの判断です。

それがすべて正しいとは限らないのです。

 

人間の身体はすべて違います。

誰ひとり同じ人はいないわけですから、今までのデータが当てはまるかどうかはわからないことです。

ですが、ほとんどの人が、あてはまるかどうかわからない経験値だけを信じてしまいます。

 

そのために、否定しながらもそれを目標にして進んでしまうことにもなります。

平均点はどうか、人はどうか、今まではどうかを常に意識させられてきた私たちは、何か基準がなければ判断できなくなっています。

自分が感じるといった漠然としたものには全く自信がありません。

病気になったことは、自分の身体への意識に自信を持つことが求められているのだと思います。

 

心配性だからという人がいますが、「心配」というネガティブな思いは、別のネガティブな事を引き寄せます。

「類は類を呼ぶ」と言うことわざ通り、同じような考えの人も集まりやすいのですが、同じような思いも集まってきます。

 

ポジティブな考えでいる必要性は、ポジティブな思いを引き寄せるためです。

特に大病を患ったら、後ろを向いてしまいやすくなりますが、それでも前を向いて進むことが必要だとされているのです。

それは、病気を治し健康な身体に戻すためには絶対に必要なことです。

 

もし、なかなかできないと思われるなら、自分が没頭できる好きなこと(趣味)を見つけることをお薦めします。

没頭している間は、病気を忘れることができます。

ネガティブな考えが頭から離れれば、ネガティブな事を引き寄せなくて済みます。

 

悩んでも悩まなくても現状は変わらないだけでなく、逆に悩むことでネガティブな事をどんどん引き寄せてしまうなら、心配や悩みは忘れてポジティブな考えに変えるべきです。

それが、大病を克服できるかどうかの分かれ道にもなるのです。